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うつ病は「十人十色」
働き盛り、40代を挟んだ10数年間、人生のうちで一番充実する時期を、病に台無しにされた。
天職とも思っていた好きな仕事が思うようにできなく、辛くて悔しい思いの連続だった。
子どものように泣き叫んで、何もかも投げ出してしまいたくなることが時々ある。
取り乱して声を上げて泣いている自分が、時折思い浮かぶ。
例えこの先病が癒えたとしても、老いとの闘いの中で、どれだけ愉しい人生を歩むことができるのか?
「労働の義務」を放棄し、何ら社会貢献ができなくなった者の想いは、どれほどのものか・・・
仕事を辞めて、今日でひと月が終わる。
表面上は、確かにホッと一息という感じで過ごしているが、好きな仕事を思いっ切りできないという悔しさに変わりはない。
辛い過去を振り返ることなく、前を向いて生きていこうとは思っているが、悔やんでも悔やんで悔やみきれない。
「うつ病」という病を理解することは、その本人でさえなかなか難しいことだが、増してうつうつでない人に理解することなど到底無理な話だ。
幸か不幸か、私の場合、食欲だけはほとんど普通の状態で、「美味しい」という唯一の快は、メタボだとか中性脂肪だとかいう事で、十分に愉しみきれない。
友人・知人などからの善意の言葉も、自分の中では苛立ちの原因となってしまうことが多い。
「俺も夜中によく目が覚めるで・・・」
「夜中に食べるのはなぁ・・・」
「運動せんといかんで・・・」
「愉しいことを見つけて、ゆっくりやってください」
「好きなことをドンドンやってください」
等々・・・
「自死」について話すと、「そんな大げさなぁ」と口には出さないが、そういう雰囲気の漂いを感じる。
うつうつの者は、癌で余命を宣告された人と大差のない絶望感を抱えていると言っても過言ではない。
「楽しめない脳」を持つことは、どれほど理不尽なことか・・・
自慢だが・・・私だからそんな事もそれなりに聞き流すことができている。
うつうつの者にとって、そんな言葉は厳禁だ。
かと言って、腫れ物に触るような扱いも、辛い。
ホントに勝手な言い分だと我ながら思うが、それが「うつ病」なのだ。
私の場合は、これまで通り接して頂くことがありがたい。
私に限っての話だ。
全てのうつうつの方がそうだとは言えないのだ。
・・・ちょっと、「うつうつ講座」をやってみました・・・
昨夜は夕食が早く、レスリンを飲んだのが20時頃だった。
22時半前に床に就き、4時前に目覚めた。
これまでと違ってスッキリ目覚め、その後の眠気や怠さもない。
いつもは曖昧な夢も、きちんと覚えている。
もうワンパターン、レム-ノンレムの周期眠れたら最高なのだが、贅沢は言えない。
今夜からは夕食の時間にかかわらず、20時頃にレスリンを飲もうと思う。