GANBANBEI うつ病ブログ
8:20
昨夜は就寝後1時間ほどで一度起き上がって菓子を食べた後、何度かの目覚めはあったが起きあらずに7時前まで眠れた。
いつものことだが、何が違っていたのかは分からない。
今、比較的しんどい感はマシなような気がする。
そろそろ「寒いなぁ」の季節に入ったようだ。
10月初めに蜂窩織炎で肘に軟膏を塗って床に就くようになり、それまで衣類は着けずにいたが布団に軟膏を塗りたくるような気がして長袖のTシャツを着るようになった。
上だけでは変な格好なのでパジャマ代わりの長パンツもはくことにした。
まだ軟膏を塗っているのもあるが、もう衣類を着けずに眠るのには戻らないような気がする。
そう言えば、この春頃までは衣類を着けず眠っていても寝汗をかいていたのが、この頃はなくなっている。
自律神経も少し落ち着いてきたか。
着るものに関して、この夏から自分なりの革命があった。
「イマドキ」のシャツをズボンの中に入れないようにしたのだ。
「シャツをズボンの中に入れるのはダサい」という風潮になってからずっと抗ってきた。
学校で体育の指導時に子どもには危険を伴うので「シャツはズボンの中に入れるように」とずっと指導してきた。
普段の服装でも「だらしない」を理由にそうしてきた。
ところが世間の風潮が変わって皆がシャツをズボンの中に入れないようになり、学校の職員たちも年齢に関係なくその方へ流れていった。
それでも、子どもへの指導が難しくなっても、私は子どもへの指導を変えなかった。
今思えば、そんな些細なことのストレスがうつうつを招く要因になっていたのかも知れない。
そう考えると、その他にいろんなところで同じようなことがあったように思えてくる。
前述のことでも「自分なりの革命」などと大げさな言い方をしているように、兎に角これまで自分がやってきたことを変えるのには極端に抵抗を感じてしまう。
わかりやすい例を挙げると・・・
子どもに手を上げることに疑問を持つことはなかった。
人対人としてぶつかる上での大切なスキンシップだと思ってきた。
昔はほとんどの教師がそうであったように思う。
ところが、世間の指摘から「体罰はダメだ」となり、子どもに手を上げることは否定されるようになった。
そうなると、皆が自分のやってきたことを棚に上げて「体罰はダメだ」となっていく。
明らかに不適切な「体罰」をやってきた連中も、自分のやってきたことを隠し始める。
「子どもに手を上げること」=「児童虐待」というふうになる。
私は、子どもを指導する流れの中では「痛いスキンシップ」も必要だという考えは未だに変わりが無い。
それを「体罰」だと思ったこともない。
30年の教職の中では数々の「痛いスキンシップ」はやってきたが、そのことで児童や保護者からの苦情・トラブルは一切無かった。
・・・というふうに自分がやってきたことへの拘りは極端だ。
単なる「自己正当化」という「自己防衛」なのかも知れないが・・・
そんな私は「学校という組織の変化」について行けなかっただけかも知れない。
延いては・・・自分が正しいと信じてきたことをどんどん覆す世の中に疲れて、うつうつの世界へ逃げているだけなのかも知れない・・・
お読み頂いてありがとうございます
今日一日皆様にとって佳い日になりますように
2012年11月2日金曜日
のんびり…うつうつ…12/11/02 >>>うつうつの世界へ逃げている・・・
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