のんびり・・・うつうつ・・・

のんびり・・・うつうつ・・・
7:45
今朝は冷たい雨が降っている。
最高気温も10度くらいという予報で、寒くなりそうだ。
昨日職場復帰トレーニングの面接に行ってきた。
上司(校長)同伴と言うことで府教委がらみかと思っていたが、担当医師3人のみとの面接だった。
これまでの経過や現状を質問されたことに答えるという形で話が進んだ。
定員8名だが希望者が多いと言うことで、審査の結果が19日に出るとのことだった。
久しぶりに仕事モードといった雰囲気になりやや疲れたが、帰宅後にジムには行こうという気持ちになり出かけた。
発病のきっかけ
私の場合やはり特異なケースのようで、初めに職場の人間関係や保護者とのトラブルといった感じの悩み事について質問されたが、私にはその手の悩み事はない。
15年ほど前の発病の経過などを話して、現状を伝えた。
自分なりに考えている発病にきっかけは、当時府教委の取り組みで「体育専科」加配という事業が始まり当時の勤務校が受け入れた。
元々体育専門の私に白羽の矢が立ち受け入れて、勤務以来初めて学級担任を外れた。
今ならそれなりにうまく対応できたと思うが、当時まだ30代後半の私にとって「我が子(担任する子ども)」がいなくなるのは大きな環境の変化だった。
それまでは就寝時に子どもたちの顔を思い浮かべながら、明日はこんな風に接していこうとかこんな言葉かけをしようなどと思いを巡らせていたが、そう言ったことが無くなった。
それと言うのも、中学校などで行われている専科制をそのまま小学校で実施することには反対だった。
小学校段階での「体育」の時間は、学級経営の上で大きな位置を占めるという持論があり、学級担任から「体育」を取り上げることはできなかった。
元々体育科の定義として「身体活動を媒体とした全人教育」というのがある。
子どもというのは身体活動を伴った遊びの中から多くを学び取るものなのだ。
そこで担当する体育の授業では、チームティーチングの形態をとり、あくまでも学級担任が中止となるようにした。
その取り組みで研究発表もし、事後には他県からの授業を見せて欲しいとの要望にも応え、それなりの成果を上げた。
ところが私にとっては、「我が子」を無くした喪失感の方が強かったのだろう。
そして、一旦うつ病という病に取り憑かれたら自分の意志ではどうにもならない脳の機能障害に陥ってしまったのだ。
久しぶりにあの頃を振り返って、「もう死んでもいい」などと思っていたことを思い出した。
今ではそんな事は病が思わせているのだと考えられるようになったが、当時はそんな自分が情けなくて仕方なかった。
その次の年度には学級担任に戻してもらったが、もう遅かった。
病に支配された脳は子どもたちのことを考える余裕はなく、ドンドン自分を追い込んでいった。
休暇に入る直前の授業では、震える手で書いた板書の文字がミミズの行列のようになり、教室にいても子どもたちが見えず、その場から逃れたい一心だった。
当時はまだうつ病という病が世間に十分認知されていなかったように思う。
この病と向き合う上で大切なことは、自分の意志や精神の弱さではなく「脳の機能障害」だとしっかり自覚することだと、今では思っている。
アルツハイマー病を抱える人に「このことだけはしっかり覚えておくように…」と言っても無理なことなのだ。
のんびり・・・うつうつ・・・09/11/17
2009年11月17日火曜日